温泉旅行編3
途中、休憩をはさんで、軽い昼食を摂った。
車は、大した渋滞に合うことなく順調に目的地へと近づいていく。
気がつけば途中、うとうとと謙吾の肩に頭を預けたまま眠ってしまった響は、ぼんやりと目覚ます。

「もうじき着くぞ。」
響が目覚めたことに気づいた謙吾がそう言ったので その凭れた姿勢のまま ボーッと車窓の外に目をやった。
外には 長閑(のどか)な景色が広がっていた。
ここがどこなのかさっぱり わからない。
随分と山深い景色。その山の景色に馴れた頃、車は、ようやく りっぱな門構えの建物の前で止まった。
謙吾に付き添われるようにして、車から降りる。 
どうやらここが目的の宿のようだ。
そのりっぱな門をくぐると、広い庭の先に、豪奢ではないが風情のあるどっしりとした佇まいを見せる日本家屋が目に入る。
まるで隠れ家を思わせるような雰囲気をもつ温泉旅館だった。
きっとお忍びで利用する人も多いのだろう。
到着したことに気づいた宿の者が玄関口から出迎えて、
「滝沢様でいらっしゃいますね。
どうぞこちらへ」
と いきなり離れへと案内された。
どうやら宿帳などは部屋で書きこむらしい。
しかしすぐには入らない。警護の一人が先に入って中の安全を確認してから部屋に入った。
その物々しいほどの慎重さに、苦笑いが漏れる。

今日の警護のメンバーの内、響が良く知っているのは、保田だけで他の7人とは話しをしたことがない。
しかし、この中の5人はいつも謙吾の護衛をしている人たちなので顔だけは知っている。
中でも皆をまとめて指示を出している強面の男は、以前 小島と顧問弁護士と偽って謙吾と女が止まっているホテルの部屋を訪ねた時に会っている。
たしか広中と言った。この広中も、皆も何も言わないが、男なのに謙吾の愛人をしている俺のことをどう思っているのか・・
ちらっと保田の方を見ると、この中で一番格下の存在なのか一番後ろで小さくなって控えていた。

「姐さん。」
と、数日前 久し振りに保田に会った時にそう呼ばれたのだ。
呼ばれた時には、いったい誰のことを言っているのかさっぱり分からなかった。
「組長が、大事な お人とはっきり認めたわけですから、俺らにとって響さんは姐さんです。」
これには些(いささ)か複雑な気持ちがした。
頼むから人前でそう呼ばないでほしいと保田には その場で釘は刺しておいたが、この人たちも自分のことを姐さんと思って歓迎してくれているのだろうか・・・
そうではないだろうと思う。


「ようこそおいで下さいました。」
警護の人たちが謙吾の命で、自分たちの部屋に引きとり、二人きりになると、宿の女将が部屋に挨拶に現れた。
壮年の妙に艶のある女性だ。こんな田舎に住む人には思えない。
「遠路お疲れでございましたでしょう。」
お茶を点ててもてなしてくれる。
そのお茶菓子として出された ほどよい甘さの和菓子は、温泉宿に出されるお茶菓子とは幾分違った上品なものだった。
世間のことをあまり知らない響も、これだけで、この宿の格がかなり高いことが知れた。
ぐるり周りを見回して、飾ってある調度品も控えめながら、それらが かなり値打ちのあるものだということのも気づく。
そして今 手にしているこの茶碗も。

この離れは12畳ほどの部屋が2つに浴室、庭に面した縁の先には露天風呂もあり二人だけで泊るには勿体ないくらいだ。
謙吾と暮らしていると こういう贅沢にもだんだん慣れてきてしまう。
それがちょっと嫌だと思う。自分には分不相応だと思うからだ。

女将が去って行くと、響は、早速 謙吾の菓子に手を伸ばす。謙吾は甘いものを食べないことを知っているので、勝手に食べてしまった。
すると、
「なんだ 腹が減っているのか?」
と訊いてくる。
「そうじゃないけど、おいしかったから
どうせ謙吾は食べないだろ?」
「そうだな。」
と笑った。

さわさわと山の涼やかな風が部屋に入ってくる。
『こういうのを幸せっていうんだろうか・・』
ここでは 時間がゆったりと流れて行く・・・
そんな気がした。
「夕飯までには、まだ時間があるな。風呂でも入るか?
それとも散歩にでも出るか?」
来る途中、道沿いに精流が見えた。少し外を歩いてみたい気がする。
「散歩がいいな。」
そう言うと謙吾が広中を呼びつけた。
散歩にも警備が付いてくると知ってがっくりした。
「少し離れて付いてこい。」
広中たちは先程の黒いスーツ姿に比べれば幾分、目立たない服装に替えて現れた。
4人ほどを引き連れて散歩に向かう。
何もない場所にぽつんと一軒ある旅館のようで、まわりには観光するような場所もないような田舎だったが、こうして、木々が風でそよそよと揺れる小道を歩くだけで気分がよかった。
川の側に降りてみたいというと、謙吾が先に降りて手を引いてくれる。
俺は女じゃないのにな・・と苦笑しながらその手を取った。
その手を離さないまま、ゆっくりと川べりを歩いた。
考えてみたらこうして手を繋いで歩いたのは初めてかもしれない。
キラキラと陽を受けて輝く川面が、ときどきパシャッと小さな音を立てる。
魚がいた。
沢山のヤマメが夕暮れに川面に現れる虫を狙って跳ねるのだ。その様子がおもしろく しばらく見ていた。


ふと、そんな時、川を挟んだ向こうの小道に人影を見つけたのだ。
「あれ?」
まるで小さな子供のように魚を見て喜ぶ響を、隣で目を細めて見ていた謙吾は、何事かと鋭い眼差しを響の視線の先に向けた。
「どうした?」
謙吾が見た時には、向こうの小道の木々の間に消えていく男の後ろ姿がちらっと見えただけだった。
「知ってる人に似ていたような気がしたんだ。」
『まさかね』
「誰だ?」
「たぶん他人の空似だと思うよ。」
川向こうの小道を連れだって歩いている男の一人が坂下のような気がしたのだ。
それは普段 響が目にする坂下とは随分違っていた。
前髪をおろし、シャツにジーンズという出立ちは、響が知っている坂下より5つ以上は年若く見えた。
それに連れは・・・
「ねぇ、坂下さんって休暇を恋人と過ごしているんだったよね?」
「のはずだが。」

『じゃあ あれはやっぱり人違いだ。』

「そろそろ戻るか。」
謙吾に促されて 来た道をもどる。
さやさやと川の流れる音に耳を傾けながら歩く小道。
ふと視線を感じて見上げると謙吾と目が合った。
思わず笑みが漏れる。
「ありがとう。」
「なんだ急に。」
「旅行連れて来てくれて。」

「あぁ またいつでも連れて来てやる。」
謙吾がそう言うと、響は黙って微笑んだ。
こんな温泉旅行ぐらいで喜ぶなら何度でも連れて行ってやりたい。
こんなふうに幸せそうに微笑む姿をいつも見ていたいのだ。
今までつらい想いをさせた分 もっともっと幸せにしてやりたい。

『響・・これからは ずっと俺の側でそうやって笑っていろ。』
その笑顔を見るだけで、心が満たされる。
『これが幸せってやつなのか・・』
そう思う謙吾の口元にも自然と笑みが浮かんでいた。






昨日HPの方のアンケート終了させていただきました。
アンケートの結果をUPしておきましたので興味のある方はご覧ください(^v^)
沢山の方にご協力いただけ、コメントも沢山頂きました。もう感激です。
今後の参考、励みにさせていただきたいと思います<(_ _)>
本当にありがとうございました。

誤字修正が一ヶ所あります。教えて下さってありがとうございました(^v^)



テーマ:自作BL連載小説 - ジャンル:小説・文学

【2008/07/05 00:36 】
一億円の愛 番外編 | コメント(1) | トラックバック(0)
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