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鳥のさえずりの声で目を覚めた。視線を窓に移すとうっすらと空が白みかけていた。 見なれない天井。 そうか・・謙吾と温泉に来ていたんだ俺・・ いつもの重みを身体の上に感じる。謙吾の腕が自分を包み込むように身体の上に乗っているのだ。 そっと起こさないようにその腕を外し、響は久しく見ることがなかったその寝顔をマジマジと見つめた。 響は謙吾より先に眠ってしまうし、響が眠っている間に出掛けてしまう。 目を閉じていると幾分 そのキツイ整い過ぎた顔立ち和らいで見える。 こんな無防備な姿を晒す相手は自分だけなのかも知れないと考えて、思わず顔が自然と綻んできた。 『わぁ俺 朝から何考えてるんだ。』 パタパタとその思考を追い払うと、 朝風呂にでも入ろうと だるい腰を引きずりながら浴衣を手に取った。 『昨日見た案内には、確か本館の方に大きな浴室があると書いてあったよな。』 温泉と言えば大きな湯船。部屋付きの露天風呂もいいけど、響は謙吾が寝ている間にそっと浸かってこようと響は、浴衣の上に丹前を着て部屋の外に出た。 うっすらと靄が立ち込めている。夏だというのに少し肌寒いくらいの山の朝の空気を深く吸いこんだ。 宿に備え付けの下駄を履いてカラコロと本館に向かう。 少し行ったところで、向こうから こちらに近づいてくる大きな人影が来るのが目に入った。 上背のある謙吾よりも更に大きいガッシリした体格の男性。 『ひぇ〜2メートルくらいはありそう。』 日本人ではない証拠に明るい茶色の髪に碧の瞳をしている。 こちらに気がつくと、 「おはようございます。」 と、日本語でにこやかに挨拶をされた。 「おはようございます。」 と軽く会釈を交わして行きすぎる。 『隣の離れに泊まっている人かな?』 そう思った瞬間、昨日の声のことを思い出し思わず赤面してしまった。 後方で 「ジュリオ」 と呼ぶ声がした。きっとさっきの人の名だ。 「アキラ、もしかして目覚めたら僕がいなかったから寂しかったんだね?」 と甘い声が聞こえてくる。 「そんなわけないだろう。 また道に迷っているんじゃないかと心配して出てきただけだ。」 やけにつっけんどんな返事が返って来ていた。 ん? その声にどこか聞き覚えがあった。 興味にかられて振り返えってみると、後ろの小道にさっきジュリオと呼ばれた男性と・・・ 横に立っているのは・・ 「えっ!?」 思わず声を上げてしまった。 それで向こうも初めてこちらに気づく、そこには固まったままこちらを凝視していた坂下さんがいた。
いつもきっちり後ろに流して固めてある前髪が無造作に額に下りていて、いつもより随分若くは見えるが、間違いない坂下さんだ。 昨日散歩の途中で見かけたのも やはり坂下さんだったのだ。
すごい勢いで腕を掴まれ、隣の離れに連れ込まれる。 「響さん、どうしてあなたがここに・・ 響さんがこちらに見えるということは、組長も他の組員も居るということですよね。」 この不幸な偶然を確認するように坂下が訊いてきた。 いつもの冷静沈着な坂下とは違う一面を見せられて響も戸惑っていた。 「坂下さんが、ここに居ること謙吾にも、誰にも話したりしませんから・・ その・・安心して下さい。」 そう言いながら、チラッと横にいる男性を見た。 それを聞いた坂下の米神がピクリと震える。 坂下を安心させようと言った響のその言葉が逆に坂下を刺激してしまったらしい。 すっと顔がいつも以上に冷めた表情に変わる。 「響さん、誤解をされているようなので申し上げておきますが、これ・・ いや彼は、宵の友人に過ぎません。 急に日本を案内するように宵に頼まれてしまって こうして日本の情緒を堪能して頂くべく温泉に伴に来ていただけの関係です。」 宵はというのは、坂下の弟で、アメリカに留学したまま、今だ 日本に帰って来ていない。 その宵が向こうで何をしているのか響はまったく知らない。 「ですが・・坂下さんは、確か恋人と過ごす為に休暇を取っていたんじゃあ・・」 よせばいいのに、ついそんなことを訊いてしまった。 「当初は、その予定でしたが、そちらは急遽キャンセルしました。」 坂下はそう 淡々と答える。 だが、それを聞いた途端、隣にいる男性の表情が明らかに、不機嫌なものに変わっていく。 さっきまでは、戸惑いながらもニコニコと笑顔でいたのに・・ 一応響がいる手前、怒りを堪えているらしいが、この男性の怒気が増していくのを響はヒシヒシと感じていた。 「そうですか・・」 結局、その男性を紹介されることも、自分も紹介されることもなく、だが、最後は坂下に念入りに口止めされて、響は坂下たちの泊まっている部屋を後にした。 理由は、「私がここに居ると知れたら組長にこき使われるといけませんから」というものだったが、 昨日のあの声を聞いていなければ、響もそれを信じていたかもしれない・・ が、それにしても・・・ 『信じられない・・あの坂下さんが・・それに・・』 あまりにも強烈な出来事で頭がいっぱいで、ぼんやりと本館に向かって庭を歩いていたら、グイといきなり背後から腕を掴まれてよろけた。 「謙吾?」 明らかに不機嫌とわかる顔をした謙吾に有無を言わさず抱え上げられ部屋に連れて帰られる。 「何、どうしたんだ?」 響には謙吾が何を怒っているのかわからない。 「そんな格好でどこへ行く気だった。」 「どこって 風呂だけど?」 おかしな格好をしていただろうかと改めて見るが、浴衣に丹前を着ているだけだ。 別におかしなところはない。 「風呂なら、ここにあるだろう。」 「大浴場のに入りたかったんだよ。」 そう言うと謙吾がチッと舌打ちをして更に深く眉間にシワを寄せる。 「誰にも見られなかっただろうな?」 「う?うん。」 坂下さんに会ったことは謙吾には言えない。 見た人がいたらどうするつもりだったのか、と訊きたくなったが止めておいた。 結局、この後、謙吾と一緒に部屋の露天風呂に入ることになったが、そこで、「お仕置きだ」と言われ散々な目に合った。
その後、響はこの旅館で坂下さんにもジュリオと言う人にも会うことは無かった。 坂下は、あの後すぐに、ここを引き払ったからだ。 しかし、あれから、腰が立たなくなるほど、謙吾に啼かされ、結局そのまま、帰るまで部屋から一歩も出られなかった響がそれを知る由もない。 翌朝、謙吾に支えられるようにして、旅館を後にした。 「もう二度と謙吾と旅行なんてしないからな。」 帰りの車の中でふくれながらそう言った。 だが謙吾は、一向に気にすることなく。 「次は貸し切りにしてやる。そうすれば大浴場も入れるぞ。」 と満足そうだ。 だが、ふと思えば、行きに感じていた重い気持ちはきれいに消え失せている。 キズのことも、もう気にならない。 それに、これから謙吾の側で生きていくことにも、少しだが自信が持てそうな気がした。 何と言ってもあの坂下が自分と同じだったとは・・・ なんとも心強い気がした。 車の窓からのんびりした田舎の景色が広がる。 楽しみにしていた温泉旅行とは程遠い旅行だった気もするが、謙吾と一緒に来られたのはやはり嬉しかった。 行きと同じように抱き寄せられるようにされて肩に頭を預けた。 「疲れただろう。寝てろ。」 疲れさせたのは誰だよと睨みたくなったが黙って目を閉じた。 考えてみればこんなに長い時間 謙吾と一緒にいたのは初めてかも知れない。 『また、来たいな。』 素直に言葉に出せない響だったが、そんなことを想いながら、肩ごしから伝わる謙吾の嗅ぎ馴れた香りに、何とも言えない安堵感に心地良い眠りがやって来た。 そんな響を目を細めて見つめる謙吾がいる。 車は、そんな二人を乗せて、家路に向かうのだった。
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